昭和時代 滋賀県立聾話学校【なつかしが】
校庭や校舎の窓から、思い思いの姿でカメラに映るひとびと。
昭和3年から44年までの期間、草津市大路にあった滋賀県立聾話学校の写真です。
創立者の西川吉之助は、耳が聞こえない娘のための教育をきっかけに、この学校を創立。
聞こえなくても話すことはできるようになる、との思いをこめて、学校の名前を「聾話学校」としました。
聾話学校は昭和44年1月に栗東に移転。今も子どもたちの学びの場となっています。
あのころ滋賀は、私はこうだった。
なつかしい滋賀の模様を写真や動画でお届けします。
https://www.webaminchu.jp/news/?feature=natukashiga
古き良き滋賀を語ろう
なつかしがFacebookグループページを開設しました!
https://www.facebook.com/groups/465329301303818/
投稿者
コメント一覧